2018年12月 「二宮金次郎は、どこにいった・・・」

 私が小学生の頃は、どこの学校にも校庭の片隅に「二宮金次郎」の銅像(石像)が建っていた。薪を背負、本を読みながら歩く姿は、まさに“向上心”・“勤勉”・“努力”の象徴である。しかし現在、この銅像を有する小学校は皆無と言ってよい。
 二宮尊徳(幼名:金次郎)は、江戸後期の実践的農政家で、幼くして両親を亡くし伯父の家で苦しい農耕をしながら「論語」「大学」「中庸」等を独自に学び、青年期に家を再興。後に小田原藩・相馬藩の凡そ600の村の再興を行い、その後幕府に召し抱えられて普請役格になった。また、農村の生産力に応じて分度を定めて勤勉を説き、その結果として富を譲り合うという「報徳思想」を広めた。
 内村鑑三が英文で書いた外国人向けの人物伝「代表的日本人」に紹介され、また幸田露伴が少年少女のための文学として執筆した「二宮尊徳翁」がその名を広めた。さらに、修身の教科書にも登場し生徒の「模範」として定着した。
 ではなぜ二宮金次郎像が消えているのか。その背景には「児童の教育方針にそぐわない」「子供が働く姿を勧めることはできない」「戦時教育の名残」「歩いて本を読むのは危険」という声があるという。更には“辛抱”や“忍耐”、“向上心”や“出世”、“勤労”や“徳力”に重きを置かない風潮が教育現場にはあるそうだ。
 最近はまた、卒業式で「蛍の光」を歌わない学校が増えているそうだ。その理由も「戦時教育の名残」と言う声や、現代の子供たちには「蛍雪の功」ということが理解されないという・・・。勤労学生や苦学という言葉も、あまり聞かなくなったし、蛍の光を集めて本を読む、雪を重ねた光で勉強するという情景は想像できないのかもしれない。しかし、なぜか「蛍雪時代」という受験雑誌は今も存在している・・・。
 江戸期の教育は、いかにして人間としての完成度をあげるかがテーマであったが、現在の教育は、いかにして試験に通るかがテーマになっている。“向上心”や“勤勉”
は人間としての大きな徳目であり、それを幼少期に身に染みこませることは、大変有意義なことのように思うのだが・・・。
 いかがであろうか、二宮金次郎像を復活させては!
                                                           
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