2013年7月 “「稲を育てる、人を育てる」”

  5月下旬の「田植え」から1ヶ月、稲(苗)の背丈は伸び、株もずいぶん大きくなった。このまま順調に育てば今年の収穫は期待でき  そう・・・。もう、かれこれ20年近く「米つくり」をやっているが、毎年毎年試行錯誤。技術は多少向上していると思われるが、気温、日照、雨(水)、土、肥料、害虫・・・、変動要因が多く、なかなか思ったようにはいかない。

  9月中旬に稲刈り。乾燥、精米し、この「私が作った米」を農協に出荷する。同時に50人ほどの友人に送り、“これは旨い!”と喜んでもらうのが何より嬉しい。化学肥料は一切使わず、レンゲと有機肥料を肥やして“旨い米”つくりに精進する。

  「私が作った米」、実は私が作っているのではない。これは、地球が作っている、大地が育てている。私はただ、土を耕したり、水を管理したり、畔草を刈ったりしているだけである。そして何より、「米」はそのDNAで「米」になり、自分の意思で育っていく。私は、その環境づくりをするのである。

  田植えから1ヶ月を過ぎた頃「中干し」といって田圃を干す。水のない厳しい環境を作って稲の根を張らせる。そして台風にも倒れない強固な稲にする。

   「私が育てた子供」、「私が育てた社員」、そのように言うのは傲慢であり、烏滸がましい。彼らは自分自身で育ったのであり、親は、上司は、彼らが育つ際のサポートをしたに過ぎない。ただし、どのように育つかは、その関わり方による。ぬくぬくとした、ただ居心地の良い環境ばかりでは大人にはならず、ひ弱で自立しない「大きな子供」になる。逆に、常に厳しく安らかさを欠く環境のみでは、人も枯れる。両方が必要であり、バランスとタイミングが難しい。

  近年、このバランスが「優しさ」に傾き過ぎである。社会全体が母性化し、父性が足りない、「厳しさ」が足りない。家庭においても父親が父性をなくし、母性化し、二人の母親が子供を育てる(?)。その結果、若者は冒険せず、居心地の良い、与えられた環境に安住しようとする。

  自分の意思で育つ環境を作ろう。その関わり方をしよう。「お前はどう思う?(What do you think?)」、「君の意見は?」・・・。「自分で答えを出せる能力」をつけさせる。それが教育である。

                                                            ラーニング・システムズ株式会社                                                           

                                                              代表取締役社長 高原 要次